4 文屋康秀 「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ」
芸にかけた一首である。 これもあまり好きじゃなかった。
(なんかシリーズ今まで出た歌すべては気に入らなかった歌である気がする)
しかも一字決まりの中でも「ふ」は苦手だから。。。 全部不得意なんだけど、強いていえば「め」と「さ」だけがたまに超スピードで取れる。まあ、この恋歌だらけのシリーズに雑が出るのがすごく嬉しい。
5 小野小町「花の色は 移りにけりな 徒に 我が身世にふる ながめせしまに」
これはエピソード3の 僧正遍昭の「天つ風 雲のかよひぢ ふきとぢよ をとめの姿 しばし留めむ」 が出た時にすでに紹介したので、[link]を参考してください。
しかし、このシリーズがすごいところは、 観たあと、好きではなかった歌を全部少しでも好きになるところでしょう。
文屋の一首は昔初めて読んだ時に、 「マジでつまらない歌、恋歌よりくださらんなぁ」とすごく思った。 なんぜ芸にかけすぎて、あまり深い意味がない歌だから。
「ああ、風が吹いている。風が強すぎて秋の草木が倒れたら、世間はあの山風を嵐と呼ぶだろう」
という。これはただの 山+風 = 嵐 というダジャレにすぎないから。。。
故に、私は心の底から、超訳のストーリーが本当であってほしい。 そうなると、この歌は文屋の貧乏貴族として、歌人としての意地を見せてくれたわけだ。 在原業平と違って、身分も違えれば、歌風もまるで違う。 最初に相反していた二人が小野小町つながり(w)で心の打ち解ける友人になった。
在原業平は名門だけど、名門ゆえの鎖から解放したい一心で、プレイボーイに(いや、これは本性かも)、しかも高子(たかいこ)とを恋したから、実られない恋に苦しまれてた。そういう在原業平だからこそ、猛烈的、自由奔放の歌ができただろう。
一方、文屋康秀は没落貴族の出身で、地位とお金もない。唯一誇れるものはよく宴会で褒めれる宴会芸の一つだった和歌だ。宴会で認められたいから、自然に芸にかけた歌をしか詠ま(詠め)なくなる。
在原業平はもちろん、最初に文屋と知り合った時に、非常に彼の歌風を嫌っただろうね。 「こころをまったく込めていない」「自分自身を表現するしていない」と思っていたかもしれない。文屋康秀からみれば、在原業平は地位もあって、お金もあって、ただの世間知らずのプレイボーイにしか映らなかっただろう。だからこそ世間体を気にせずにあんな大胆かつ自由の歌が唄えると思っていたかもしれない。
「このような二人が衝突して、小野小町と一緒に酒を飲み月見してから、初めて二人のこころとも違う葛藤を持っていることを知り、打ち解けた」という”超訳”はなかなか面白かった。 これを背景に、文屋が在原の前に
「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ」を詠んだ。
在原は当然に「は?なにそれ?意味まったくない歌じゃん!?」と反応した。
でも文屋がこの歌のこころは 「そうよ。意味なんてない。私は芸だけが取り柄だから、この芸で出世してみせるぜ!」 ということ。 このストーリーが本当なら、私ももっともっとこの歌を評価できる気がする。
ただ「相手の持っている葛藤を知って、理解してあげた」ではなく、 「相手の持っている葛藤を知った上で、励み合いながら自分を貫いていく」ところがよかった。
ナイスファイト。